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楽しく生きていく

面白おかしく楽しく過ごす。知りたいことはメモってく。

ストレスを意識するのをやめると、ストレスも減る~姑・小姑との10日間~

こんにちは。

 

だいぶ間が空いてしまいました。

サブタイトルが「僕らの7日間戦争(古)」みたいですが、別に嫁・姑問題について

小町的にぶちまける予定はありません。

 

離れて暮らす私たちのところに、旦那の母・姉とその子供が遊びに来て

10日ほど滞在していました。

 

決して仲は悪くないものの、やはり肉親とは違う気遣いがある訳で

来る前は正直気が重く、滞在中の小旅行のプランなども前向きになれずにいました。

到着してからも、自宅に泊めた為、リビングを含む全ての部屋に人が寝る事になり普段当たり前にある「一人になれる部屋」が無い!

という状況が辛く、自宅にも関わらず便秘になったり、体が多少緊張しているのが分かりました。

 

他、まぁ朝食や起床の時間が我家と異なる為、出来立てを食べさせてあげたい/さっさと片付けたいが皆のリズムが読めなかったり、

(こういうの、一人ひとりのリズムに合わせてその都度野菜やフルーツを切ったり、都度コーヒーをたてたり出来る人は偉いと思う。私は朝まとめて切って冷蔵庫に入れておくタイプだが、そうすると果物の色が悪くなったりするのが気になる。)

 

観光のプランを立てるにも義母と義姉が違うことを言い折り合わない時があって黙りこまれ困ったりと

書いていくとどんどん出て来ますが

途中で「あっ、私ストレスに注目してるわ。」と気づき、目につく事を考えるのをやめると、スッと楽になりました。

これは、以前カウンセリングを受けたり、関連する心理学の本を読んだりしてある程度

「思考のクセ」をコントロールできるようになったのですが、こんな考え方です。

 

思考のクセ

人には「思考のクセ」がある。自分の怒りスイッチ、ストレススイッチには傾向があって、相手のせいではなく、特定の相手や事象に反応しやすい。

(被害者意識ともいう)

 

・「思考のクセ」は「偏見の色眼鏡」ともいえる。自分で、物事を悪い方向に取るメガネをわざわざかけている。メガネを外せば、ストレスは消え事実だけが残る。また、良い事に注目するメガネを掛ければ被害妄想は無くなる。

(例)

夫が妻の浮気を疑っているとする。あるとき妻が友達と出かけ、お土産にワインを買ってきてくれた。夫はラベルを見て

「いつもスーパーで買う、普段飲みの1000円程度のワインと同じメーカーだ。こんな安い土産か

と思ったとする。その後飲んでみると、思ったより美味しい。同じメーカーだが値段を見ると5000円だった。すると夫は

こんな高いワインを土産に買うなんて、やはり後ろめたいことがあるに違いない。こんな事でごまかそうとしている」

と考える。

=>事実は、妻が5000円のワインを買ってきただけ。

 

ストレスを意識しないように私が工夫したこと:相手の長所を意識する

滞在中は上に書いたようなストレスがちょいちょいあったわけですが、一方で義姉は

子供とふざけて遊ぶのがとても上手でした。「場を楽しくする人」なのです。

他にも、洗い物や洗濯物畳みをスッとやってくれたりして、「やっぱり主婦は気遣う点が分かってるわ。。夫と全然動きが違う(<=一言余計)」と思ったり。

相手の長所を意識すると、嫌な気持ちはそれほど持続しませんでした。

 

朝食の用意等も、結局自分で朝一番にさっさと野菜や果物を切ってしまって冷蔵庫に入れておきました。そうしておけば、都度用意するのはそれほど手間にはなりませんし、相手が朝食を食べたくなるまで台所で今か今かと気を揉む必要もありません。

相手も自分のペースで食事することが出来ました。

 

これが同居になったら、「おもてなし」ではなく「完全な身内」になるわけだし、期間限定ではなく、長期にわたって他人とのペースを作っていく必要があるわけで、まぁ同居の方には頭が下がりますが・・・

 

この、「ストレスを意識させている、偏見の色眼鏡を外す」は、お勧めです。ちょっと意識してみるだけで、けっこう物の見え方が変わるかも?

 

 

 

そろそろ、好きなことを「消費する」から「生産する」へ動こう

最近、自宅でパン教室を開いている方のところに、パン作りを習いに行って来ました。

 

うちにホームベーカリーはあるものの、焼き立てのパンを朝食べる為には

夜、洗い物の後に計量をしなければならず、テーブルや床に粉が散らばるのが

面倒で、ホームベーカリー「すら」年に5回くらいしか登場していない私。。

 

手で捏ねるパンも数回作ったことはあったのですが、全くの初心者が

本を見てやると、「え~と、ここはこうなのかな?」と迷い、

「ま~いっか!」と本の注意事項を気にせず進めた結果

「うわ~、どうしよう」というトラブル発生。

どうしでも時間がかかります。

 

しかし、今回手で捏ねるパンを、計量を済ませてあるとはいえ、

捏ねから焼き上げ、試食まできっちり2時間で終わらせた先生の手際に、感動!

本を見てやるのと、

先生が目の前でお手本を見せ、ちょっとしたコツを聞きながらやるのと、

全然違う!!

 

そして、美味しさに、本当に感動!

手際よし、教え方よし、味よし。

焼き立てのパンは、人を幸せにします。

そして、破格の指導料で快く送り出して下さいました。

 

先生は、お子さんがいる同年代の女性。

大学では全く関係ない専攻を学んでいたものの

結婚し、生まれたお子さんが卵アレルギーだったことから

安全なパンを作ろうと考え、パン作りの勉強を始められたとか。

 

なんだろう。

自己実現なんていってしまうとありふれてしまうけれど、

「自分に出来ることを人に教え、幸せな気持ちにしてくれる。

自分が実際に体験すると、素敵だよ、先生!

と、素直に思える。

 

この1年、ストレスから自分を解放する為に

好きなことばっかりやれば良いと

自分を癒してきたけれど。

全部やりきってはいないけれど、

そろそろ、好きなことの「消費」から、

誰かに与える「生産」に移りたい、自分も始動したいと思い始めました。

 

人が活躍しているのを見て、妬んだり、眩しいと思ったりする、ということは

きっと、自分も動きたいのでしょう。

動きもせずに羨むのは、かっこ悪いですよね~。

 

パン作りほど分かりやすくなくても、

自分が誰かを助けられる事、少しずつでもやってみたいと思います。

 

妬みから自分の願望を知る

久しぶりに「妬み」を自覚した。
最近、「ありの~、ままの~、じぶんを好きになって~」と
エルサ並みに解放されていたつもりだったので、
おお、まだまだ自分の中にこういう気持ちはあるのだ、と驚いた。
 

妬みには色々な種類がある

金持ちに対する妬みなら
「は~、苦労してないボンボンで良かったですね、はいはい、でも性格は残念ですね(<=ひがみ)」
同僚が誰もがうらやむ転職をしたら
「何であんな奴が。要領の良いヤツは得だよな(<=ひがみ)」
「なんで業界経験もないあの人が。
あれだけ交遊関係広かったら未経験でも受かるんだ(<=ひがみ)」
美人に対する妬みなら
「へ~、お金持ちと結婚するんだ~、ふ~んやっぱ美人は得だね。
でも仕事全然してないし他力本願の人生だね(<=ひがみ)」
 
他にも、周囲がみな結婚したが自分が結婚できない、周囲がみな子供に恵まれたが自分は恵まれない、
周囲がみな家を建てたがうちは、、と、妬む材料はいくらでもある。
 
人間、「妬み」を感じるのは普通のこと。
ちょっと自分の心に距離を置くと、自分が本当に欲しいものが見えてくる。
 

本当は何が「妬ましい」のか?

自分が妬ましいと思う人の、何が気に食わないのか。

金持ちのボンボンを見て。
「は~、苦労してないボンボンで良かったですね、はいはい、でも性格は残念ですね」
=>苦労してなくても、性格が残念でも、お金持ちなことが妬ましい
 

同僚が、自分の人脈を活用してうまく転職した。

=>「何であんな奴が。要領の良いヤツは得だよな」

=>人脈の広さ、要領のよさが妬ましい

 

お金持ちと結婚した美人を見て。
「へ~、お金持ちと結婚するんだ~、ふ~んやっぱ美人は得だね。
でも社会経験もないし、一生他力本願の人生だね」

=>自分が持っていない「美人」という能力を使ってお金持ちになれることが妬ましい

 

欲しいものを手に入れるのに、

自分はあんなやり方だけはしたくないと思っていたら、

それこそ、自分が欲しいと思っていることかも?

 

もしかして、それは「他力本願」を羨ましいと思っていたりして?

今まで、自分が努力しさえすれば、欲しいものは手に入る。

そうやって頑張ってきた人は、

人に頼む、人に頼る、自分を甘やかすことが苦手な人が多い。

 

自分の願望に、もっと貪欲になろう

自分のやりたいこと、欲しいものを自覚し、

宣言し、

必要な支援を堂々と求めよう。

 

「求めよ、さらば与えられん」の続き

この言葉、知りませんでしたが聖書の中のキリストの言葉だったようです。

続きも良い言葉だったので以下に紹介します。

求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる。誰でも求めるものは与えられ、探すものは見つけ、門を叩くものには開かれる。あなたがたの誰がパンを欲しがる自分の子供に石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに蛇を与えるだろうか。このようにあなたがたは悪いものでありながら、自分の子供には善いものを与えることを知っている。まして天の父はもっと善いものをくださるに違いない。だから、あなたがたも自分がしてほしいと思うことは何でも人に施しなさい。これこそ律法と預言者である」

(聖書元の文はこちらより引用)

ではでは、この辺で。

 

 

 

 

詮索好きなママ友へのスマートな対応

ジャンル的にかなり小町っぽくなってしまうのだけど。

 

その場にいない人の事ばかり聞く人への対応

・・って、うまくかわすの、難しくないですか?

 

何でも心置きなく話す程親しくはないけれど、

子供の性別や年が同じで、子供同士を遊ばせながら、だんだん仲良くなってきたママ友達・・程度の距離感。

人間関係は全く同じではないので、自分や子供を取り巻く人間関係はそれぞれ、一部はかぶっていて、一部はかぶっていない。

 

お家にお呼ばれし、子供達を遊ばせつつお菓子を頂きながら気楽にあれこれと話し、

家に帰ってあ~楽しかったな~ と一段落ついてから

気が付くと、

「あれ?なんか、共通の知り合いママや子供の事ばっかり聞き出されてなかったかな?」

「私、悪いことは言ってないけど、聞かれるままに人のことしゃべり過ぎなかったかな?」

と思う時、ありませんか?

 

特に悪口や、ママ友間の揉め事などを聞かれなくても、

例えば

「引っ越しするAさんはどこの学校に行くんだっけ。何日引っ越しだっけ?」

「あ、(うちの息子)くんはそっかB君と仲良いの?ママとも仲良い?」

とか

「(引っ越した)Cちゃんとは連絡取ってる?」

とか、、

こちらの方が比較的仲良しの家庭について、<近況>や<どの程度仲良いか>

などを、測ってくるなど。

悪い事を聞かれている訳ではないので、聞かれるままに答えてから

「あ、私、ちょっとしゃべりすぎたかな・・・」

と反省してしまうこと、ありませんか? 私は、あります!

 

詮索してくる人の心理

詮索好きの人は、何故そんなことするのでしょう。

・自分がとあるコンプレックスを強く持っていて、他人の事が気になってしょうがない

・自分の周囲の情報を集めたい(但し自分の事は話さない)

・単なるおせっかいか、噂好き

 

・・どちらにせよ、あまり自分がその人に噂を流す人にはなりたくないですよね。

でも、

「聞いてくる相手の気分を害さないようにしつつ、余計な事はしゃべらない」

って

スマートにやるの、難しいですよね。

 

相手別の、対応策

・すぐに察してくれそうな、基本的には礼儀正しい人へ

「うーん、どうだったかな?忘れた」

「さあ、、なんか聞いてる?(逆に返す)」

(仲良いかと聞かれて)「まぁ時々遊ぶよ~」

「本人に聞いてみたら?最近会わない?」

「さあ、、、なんで?(にっこり)」(言外になぜそんなことを聞くのかと示す)

 

・全く悪いと思っておらず、根ほり葉ほり聞いてくる人へ

「それを聞いてどうするの?」

「なんでそんなこと聞くの?」

(人間関係がその後悪化する危険性はあり)

 

どこにも波風を立てず、下手な個人情報は流さず、生きて行きたいものです。

でも、基本は、

「自分は、他人の細かいことは気にしない!」

が一番、ストレスを溜めない生き方です。

では良い1日を

おわり。

 

 

 

自分の得意を形にする

自分の得意はなんなのか。
良く友人に言われる
「言語化が得意」ってなんなのか。
あと、
「根性がある」ってなんなのか。(あつかましさ?)
 
根性はおいといて、「言語化が得意」が意味するところについて、ちょっと考えてみる。
これは文章のうまさとは思わない。子供の頃に作文で賞をもらったことはないし、まとめる文章も冗長になりがち。
トークも、プレゼンやスピーチ、笑いを取ることは得意ではない。
ただ、一対一で話している時、相手の言うことを汲み取って「それはこういう事?」と言葉を置き換えたり、まとめたりするのは得意。
(#聞き上手とは違う。感情をただただ聞いてあげるカウンセラーのようなものではなく、言いたいことをうまく言葉にできない人の話を聞きながら、言葉を紡いでいく感じ)
 
確かに高校の頃親友と、思春期のいろんなモヤモヤを、深い深い部分まで言葉にしようとして2時間も3時間も話したりしていた。
職場で同僚の「この1年の成果」について、聞き取りながら「それはこういう風に言えるんじゃない?」とあれこれ言葉にして、感謝されたこともあった。(但し、『ものは言いよう』のこのスキルは、自分が興味を持てない商品のセールストークには全く生かされなかった。感情がついてこないと発揮されない能力なのか)
 
これ、なんかの役に立つのだろうか。
リライト・・はじぇんじぇん金にならないし興味がない分野だと言葉の燃料(やる気)が出てこない。
カウンセリング・・は共感力が高いわけではないのでダメ。
就職活動の自己PR作成支援・・・は出来る気がする。ヒアリングして、やっていたことから「それはこういう事をしましたって言えるんじゃない?」とアドバイス。社会人の目線でアドバイス。ただ、周りに学生がいない(笑) 
社会人の昇格面接PR作成支援・・社内のお作法は分からないけど、ヒアリングした内容をベースに良い表現に置き換えることはできなくもない。旦那で試すか?
 
 今日は、ここまで~。
完全ひとりごとで失礼しました。
 
 
 

 

放牧、シュレック、思春期前

今日は徒然なるままに。

 

今週末は夫が出張で不在の為、子供(小学生、幼稚園児のダンスィ2匹)をどう発散させるか考え、同じマンション内のママ友に連絡を取り、子供同士遊ばせた。

3時間くらい、室内で遊んだり外で延々キャッチボールをしたり、かなり発散してくれた模様。良かった。

 

家庭によっては夫が不在でも、お家でゲームやテレビを観たり、

映画を観に行ったり、プールに入れて見守ったり、奥さんと子供だけで過ごすご家庭は多い。特に子供が女の子だと、お家でお絵かきや塗り絵など、静かに過ごすことは難しくはないだろう。一人っ子家庭も、母子でまったり過ごすのが苦にならないように見受けられる知り合いが比較的多い。

 

我が家は2人とも男の子で、家の中だとヒマだの喧嘩だのと、落ち着かない。テレビを観ている間は大人しいが、1日にゲームとテレビは合計1時間迄と決めており、テレビを消した30秒後から「ねえヒマ」攻撃か、喧嘩が始まる。

 

母親が子供と一緒に遊べばいい・・のだが、元来インドア派、甥姪ができる迄は子供に興味ゼロだった私は、男子が好むサッカーや鬼ごっこに全力投球できない。

とはいえ、私が小学生だった頃は外で自由に子供だけで遊んでいたが、自分の息子達は子供だけで外遊びをする機会が限られている。情緒・体力両方で、もっと発散させてやりたいと思っている。

 

そんなこんなで、子供同士遊ばせるのは母にとっても、子供にとってもメリットがある。子供は子供同士のテンションで思う存分発散し、母は子供を放牧しつつ家事や他の事が出来る。

近所の子とフラッと遊べる状況って、大事だよなぁと思う今日この頃である。

 

午後は子供を連れて用事を済ませ、夕食後は「シュレック」のシリーズ第一作を子供と観た。自分が好きなジャンルではないが、近々ユニバーサル・スタジオに行くのでその予習がてら、である。

 

案の定単純明快なストーリーで、幼稚園児の次男でも十分楽しめた。インドア派の私も、映画は親子で楽しめる時間である。

いつもは「子供が映画やテレビを観ているうちに、用事を済ませよう」「ちょっとゆっくりしよう」と、一緒に観ることは少ない。

が、ストーリーを一緒に追いかけ、同じところで笑い、驚く事。一緒に体験し共感する時間は、子供にも親にも貴重だな~ と改めて思った。

 

上の子は、あと何年一緒にリビングで映画を観てくれるか分からない。けど

思春期に入り親と口を利かなくなる前、小学校の間に、親が子供の頃ハマった映画をどんどん一緒に観て行きたいと思っている。バック・トゥ・ザ・フューチャーゴーストバスターズは見せた。夫はダイ・ハード、ベストキッド、スラムダンク等を見せている。(幼稚園児にはどう考えても早すぎるチョイス。案の定「さくらぎ!おいおやじ!」と旦那に絡み始めた)

スタンド・バイミーはまだ早いだろうか。自分が子供時代に感動したものは、もれなく教えてあげたいと思うのだ。

 

 

 

 

中学受験は何のためにするのか?

子供が高学年になり、中学受験に備えて塾通いをする同学年の家庭が増えてきた。

 

我家は地方都市出身の夫婦で、2人とも高校までは公立、大学のみ私大に通った。

結婚以来住んでいる地方も、わりと昔ながらの公立進学校を目指す地域ではある。

が、現在は一時的に転勤となっており、転勤先では東京出身のご家庭がこぞって「受験準備」にいそしむのを見て、我家のケースでは何が最適な選択なのか、遅まきながら悩み始めた。(うちは転勤族であり、中学受験が主流の関東圏に行く可能性は1/5程度)

しかし、自分が経験していない中学受験について自分が腑に落ちていない為、心か

ら子供に薦めることができない。

 

そもそも、中学受験は何のためにするのか?多くの親達は、以下のどの理由で中学受験を選ぶのだろうか。

  1. 自分が中学受験経験者で、子供にも薦めたいから
  2. 中学受験を頑張れば、その後はエスカレータ式の大学に確実に行けるから。
  3. 中高一貫校では効率よく大学受験の準備が出来るから
  4. よりレベルの高い子供が集まる環境に通わせた方が、子供が伸びると考えるから
  5. 中高で良い人脈が得られ、後で役に立つから
  6. 校区の公立がレベルが低い、または荒れているから

 

他にもあるかな?

 

私の考え(.を除く)

2.中学受験を頑張れば、その後はエスカレータ式の大学に確実に行ける

これは反対。一部のトップ私立大を除いては、一般受験で十分入学できるレベルだと思っている。また、小学生でだけ受験勉強をして、その後中高大と遊んで暮らす為にお金を払いたくはない。

ちなみに大学時代、アルバイト先に有名私立女子大に中学かエスカレーター式で上がってきた友人が何人も居たが、私の中高とのあまりの違いに愕然とした。彼女らは

 中学からディスコ行って、大学生と付き合ってた~

等と普通に言うのである。

私は中学時代、ディスコなんて単語すら知らなかった!

また、就職してからトップ私大卒の中学受験組が同僚に居たが、自分で「中学受験した後勉強してないから、『マリーアントワネットを知らない』と言って上司に呆れられた」と話していた。(但し彼は頭は良い。世界史を選択しなかったか、5教科をまんべんなく勉強する必要がなかったのかもしれない)

3.中高一貫校では効率よく大学受験の準備が出来るから

これは、上位大学への現役合格を最優先するなら、正しいかもしれない。お金さえ足りるなら。しかし、下の子も控えているので、良く考える必要あり。また、日本のいわゆる上位大学の学歴よりも、海外大学への進学に価値を置くなら、お金のかけどころは違うかもしれない。

4.よりレベルの高い子供が集まる環境に通わせた方が、子供が伸びると考えるから

多くの親は、自分の子供をより恵まれた環境で伸ばしたいと思うだろう。柔軟なカリキュラム、優秀な教師陣。お金をかければ何でも可能である。一方、公立学校は色々と縛られ、あまり私の頃と設備もカリキュラムも変わっていないように見える。例えば、公立のITの授業ではXPのデスクトップパソコンでお絵かきソフトを使っているが、私立ではiPADiMovieを使って動画を作成している、など。

5.中高で良い人脈が得られ、後で役に立つから

これは就職してから感じた。トップ私大の新卒で、中学受験組は、学内のつながりが本当に濃いようである。新卒や2~3年上の先輩が助け合うのを良く目にしたし、出世しても、起業しても、卒業生の人脈は大きな助けとなるだろう。また、育ちの違いか、物腰が柔らかい人が多い印象がある。

6.校区の公立がレベルが低い、または荒れているから

これは、親は心配しだしたらキリが無い・・が心配してしまう。荒れていない学校だとしても、中学時代は最後の「社会の縮図」である。受験をして入った公立高校には、執拗にリンチをするヤンキー少年も、陰湿なイジメをする少女もいなかった。しかし、私立に行けばイジメも学級崩壊もないとは限らない。青学中等部で黒木瞳の娘が話題になったのはつい最近の事だ。

また、もし中学でいじめにあって子供が辛い思いをしていたら、私は「世界はそこだけではないよ」と、逃げること、別の世界を持つこと、必要なら学校を変わることも可能だと教えてあげたい。

 

・・とここまで書いて来て、やはり自分が経験していない事は、子供にすすめられない頑固な自分に気が付いた(笑)

そもそも、日本のトップ校に行くことが本当に至上目的なのか。そこそこのマンモス私大に行く為に中学高校で1000万円をかけるなら、子供が海外の高校や大学に留学したい、と言った時に使う方が有意義ではないか。(子供の関心にもよるが)

トップ校といっても、東大京大を目指せるほど優秀な子供を産んだつもりはないし、自分が卒業した大学のレベルなら、自分の子供も大学受験で入れるのではないか。少子化だし。

 

また、転勤先が決まらないうちは、「どこの学校を目指そう」ともいえない。

うちにお金がふんだんにあれば、「取りあえず行っといて損はないんじゃない?」というかもしれないが。

時代は違っているし、自分の頃と公立中学のレベルはずいぶん変わっているかもしれない。なので、もう少しリサーチはするが、今の時点では、腰がひけている私でありました。

 

最後に参考になったブログの紹介を。

http://okuchika.net/trackback/4789

わたしには、確信があった。習い事には、とてつもないデメリットがある、と。

習い事は、塾を含めて、子どもたちを客観的なツールで評価するため、子どもを序列化する。


習い事の盲点は、子どもが(大人の尺度による)序列や評価の対象となる点にある。

だが、子どもは、すでに学校で先生から評価される存在である。

家では親から評価される対象である。

学校で評価された上、家庭で評価され、さらに、また複数の習い事でそれぞれ評価されるとしたらどうだろう?


大人からの評価が、ときとして、子どもの自己否定につながったり、子どもの好奇心をつぶしてしまったりする。

中学受験を考えるという事は、それぞれの家庭の教育方針を、改めて

考えることでもあるようです。

 

それでは、また。